1~2度お目にかかったことがあるからという理由だけでその人のことを分かったつもりになると失敗する。雑談や対話だけではその人の真価がわからないことが多いのだ。
致知出版社の藤尾秀昭社長もそのお一人で、これまで何度か面会の機会を得てはいたが、これほどまでに聴衆の心を打つ講演をされる方とは存じ上げず、おそれいった。
執筆と編集だけではなく、ご講演もものすごいプロだったのだ。
10月20日(金)、沖縄ラグナガーデンには「月刊致知愛読者の集い」のために全国各地から1,000名を超える参列者が結集していた。目玉はウシオ電機会長の牛尾治朗氏と藤尾秀昭社長のダブル講演。
来賓席のほうを見るとアサヒビール特別顧問の中條高徳氏、人間開発訓練で高名な行徳哲男先生、一風堂ラーメンの河原社長を始め、地元沖縄の有力者や全国木鶏(もっけい)クラブの世話人など、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。
そんな中、「出逢いの人間学」と題して90分に及んだ藤尾社長のお話は笑いあり、涙あり、熱いメッセージありと聴き手を感化してやまないものがあった。
吉田松陰好きの私にとって、とりわけ次のくだりが印象的だったのでご紹介したい。
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某有名大学で講演をする機会があった。私(藤尾)は楽しみな気分と不安な気分を半々に感じながら教室に入ったのだが、唖然とするような現実がそこにあった。飲食物を机の上に出したまま、しかも教室後方に生徒が固まっており、前半分はきれいに空いている。私は予定していた演目を急きょ変えて、彼らと直面することにした。
渋る学生をなかば強制的に前方席に座り直させ、教育を受ける側である学生の本分について語った。最後になると、彼らにも人の子として血が流れているなと安心した。目の周りがほんのりと赤みがさしてきた子が多くなったからだ。そこで、最後に作文を書かせて講義を終えた。終わってから誰が挨拶にきてくれるかと楽しみにしたが、その期待は裏切られた。誰一人、私にあいさつもせず、ガヤガヤと教室を出て行った。
そんな学生が書いた作文だから、どうせ大した期待はできないだろうと帰りの車中で読んだら、泣けてくるような良い作文が多かった。この作文を読んで私は、明治維新を成し遂げた幕末の若者も、平成の世の若者も、人としての素質は何も変わっていないと思った。変わってしまったのは人間ではなく、教育だと感じた。教育を変えなければ。
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私はこのあたりから、わが子の教育を反省し、詫びたい気持ちになった。そのあと、こんなお話しが続いた。
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誰もが感化されてしまうような才能をもっていた松下村塾の吉田松陰さんだが、松陰さんといえども教育しきれなかった若者がいる。いや、天与の機会を与えられながら、それを活かせなかった若者がいると言うべきか。それは三人いてそれぞれ名前もわかっている。
明治の元勲を輩出した松下村塾で学びながらこの三人が他の塾生と違っていたのはただ一点のみ。それは「憤」の心がなかったことだ。
「憤」(ふん、いきどおる)という言葉は、「ふるいたつ」という意味ももつ。ふるいたつことは、感動する・感激する気持ちの元になるもので、これがないと、人間、無感動・無感激となり進歩できなくなる。
松下村塾生といえども「憤」がなかった三人だけはものにならなかったのだ。
先ほどの大学生の作文のなかに、多くの「憤」を感じることができたのがせめてもの救いだ。
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なるほど、「憤」とは良い言葉を知った。
「憤」にも義憤と私憤があると思う。わかりやすく言えば、サッカーでひいきチームを応援し、アツくなるのは私憤。北朝鮮の核実験に抗議し、デモ行進するのは義憤だ。
たとえ私憤といえどもないよりマシだ。それを義憤にするのが学問だからだ。
わが子の教育を反省した私だが、彼らにも幸い「憤」の気持ちが十分強いのを思いだし安心した。
全国を見わたせば、小中学生ですでに月刊「致知」を読んでいる子供がいるそうだ。沖縄のラグナガーデンにもそのお一人、S君もきていた。私も、もう一度「致知」をしっかり読んで人間学を学ぼうという気持ちでいる。ありがとう、沖縄!
月刊致知 愛読者の集い
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